筆者の母は、人生ではバランスが肝心だと何度も言っていた。
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- 筆者の母は、ずっと昔から、節約と支出のバランスをとることが幸せに通じると教えてくれた。
- 大人になってからも、筆者は母の教えを守り、贅沢する場面と倹約する場面をよく考えて決めるようにしている。
- ファイナンシャルプランナーとなった筆者は、「つねに倹約する必要はない」という教訓を、自分のクライアントにも伝えているという。
かつて、母はほぼ2週に1回は私たち子供を連れてショッピングに出かけ、たくさんの店で買い物をした。まだ幼かった私には、母がなぜそうするのか、よくわからなかった。
だが大人になった今、完全に理解できるようになった。母はショッピングが本当に楽しかったのだ。母は食べるのと、旅行と、娯楽と、そしてショッピングが大好きだった。そうした活動では、お金を惜しまなかった。
一方、ほかの点では、金銭感覚に厳しく、倹約家だった。このバランスがあったおかげで、母は好きなことをしながら、将来のために貯金と投資もできたのである。つまり、贅沢をしても母の退職後の計画にはまったく響かなかった。
母はまだ若かった私に、人生ではバランスが肝心だと何度も言って聞かせた。成長してファイナンシャルプランナーとして働くようになった私は、母の教えは正しかったと心から頷ける。
私はバランスに関する母の教えを身につけて大人になった
倹約は、それ自体は悪いことではないが、やりすぎは問題だ。私の考えでは、人は誰もがある程度は倹約家であるべきだ。ただし、頭を使って倹約する必要がある。大好きなことにお金を使うのは問題ないが、ほかのことに対してはお金の使い方をよく考え、節約することに前向きでなければならない。
この教訓が、私たち兄弟には大いに役立ち、一生忘れることがないと思えるすばらしい休暇や娯楽をたくさん経験することができた。大人になってからも、私は旅行、娯楽、運動など特定の活動には高いこだわりを保ち続けている一方で、ほかのことに関しては意図的に節約している。休暇旅行に5000ドルを出しても罪悪感を覚えないのは、毎月の家賃が手ごろな家で暮らすことに満足しているからだ。
母の口癖は「支払った額に見合った質が手に入る」だった。その言葉を通じて、質の高いものに多くのお金を使うことには意味があると教えてくれた。ケチりすぎると、低品質なものを買うことになり、長い目で見た場合、結果としてより多くの額を失ってしまう恐れがある。
クライアントにもバランスについて教えている
私はこれまで長年にわたって、クライアントに対して、夢のような休暇を過ごしたり、憧れの家や車を手に入れたりするための手助けをしてきた。そして、彼らのひとりとして、その決断を後悔していない。
もちろん、退職後や将来の出費に備えて貯金するのは、とても重要なことだ。しかし、明日に何が起こるのかは誰にもわからないのだから、今の人生を楽しむのは健全なことだし、大切でもある。クライアントの夢をかなえるために、私は彼らに目標のリストをつくり、それに優先順位をつけるように促している。彼らにとって何が重要なのかを深く知るためだ。その際、「余命があと1年だとしたら、残された時間を使って何がしたい?」と頻繁に尋ねている。
そのうえでクライアントたちのために彼らの退職後の予測を立ててみると、多くの場合で、退職後に必要になる額以上の貯金をしていることが明らかになるのだ。要するに、彼らは今を必要以上に犠牲にしているのである。たとえば、家の頭金をためるなどといった大きな目標のために、一時的に倹約して貯金をするのは悪いことではない。しかし、極端な倹約を長期間続けていると、日々の幸せが損なわれてしまう。
極端な倹約は、精神的にも、人付き合いという点でも、消耗を引き起こし、愛する人を遠ざけ、孤立につながりかねない。ときどき少し余分にお金を使うことで、家族や友人と新しい経験が得られる。倹約するなら、目標意識と節度を保つことが肝心だ。
生きる喜びを見失うほどの倹約は避けたほうがいい。好きなことにはお金を使って、それ以外の場面で節約しよう。